謗法罪と釈尊の教え

五逆罪よりも、もっと恐ろしいのが謗法罪です。

謗法罪とは、真実の仏法を謗る罪をいいます。

十悪よりも、五逆罪よりも、もっとおそろしいのが、謗法罪なのです。

どうして、謗法罪がそんなに恐ろしい罪なのか、と思われる方もあるかもしれません。

それは、仏法とはどんな教えかを知れば、お分かりになるはずです。

親鸞聖人も大変尊敬されている聖徳太子は、仏教を、

「四生の終帰」「万国の極宗」と、有名な十七条憲法に仰言っています。

四生とは、いきとしいけるものすべて、ということです。

終帰とは、最後、帰依するところ、という意味で、いきとし生ける者の救われる

唯一絶対の教えである、ということです。 全人類の救われるたった一本の道が

仏法ですから、「万国の極宗」ともいわれているのです。

そんな仏法を謗り、非難することは、全人類が救われるただ一つの道をぶち壊す

ことですから、こんな恐ろしい罪はありません。 それは何十億、幾億兆の人を

地獄へつき落とすことになるのです。

親鸞聖人の教えは、釈尊の教え以外にありません。親鸞会で、聞かせて頂きましょう。

親鸞会では、本当の親鸞聖人のみ教えがとかれています。

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釈尊の教え(五逆罪の続きです)

五逆罪について、話をしていました。
私たちは、自分が五逆の罪人であるとは、夢にも思っていません。
しかし、今まで説明したように、たとえ手にかけて殺してはいなくても、
口で謗っていなくても、心でどれだけ親を殺してきたかしれません。

誰しも今まで一度や二度は、「こんな苦しいのなら死んだほうがましだ」
と思ったことの無い人はいないでしょう。

「死んだほうがましだ」と思うのは、産みさえしなかったらこんなに苦しまな
くてよかったのにと、親を恨み、呪っている心です。

間違いなくそれは、心で親を殺しているのです。

阿弥陀如来は、すべての人は五逆罪を造っている悪人、とみぬいて、
それを必ず絶対の幸福に助ける、という本願を建てておられるのです。

その阿弥陀如来の本願一つを、釈尊は教えてゆかれました。
親鸞会で教えられていることも、釈尊の教え、弥陀の本願、ただ一つです。
親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。

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釈尊の教え(心で造る罪の恐ろしさ)

前回、五逆罪について話をしていました。

体で親を殺す、口でいい加減に死んでしまえ、と親をそしる、これはもちろん

五逆罪ですが、体や口よりも、心で思う罪がもっとも恐ろしいと教えられて

います。

「殺る(やる)よりも、劣らぬものは、思う罪」

「殺る」とは、体で殺すことですが、心で殺す罪はもっとおそろしいといわれます。

「心で殺す」とは、どんなことでしょうか。

一つ屋根の下に暮らしておりながら、ろくに口もきかず、食事も別々にとり、

呼ばれても聞こえないふりして親を邪魔者扱いしているのは、心で親を殺しているのです。

親が病気にでもなり、寝たきりになったらどうでしょう。

世話を嫌って、「邪魔だなあ」「いい加減に死んでくれたら」 という心がふきあがって

きます。とても他人には言えない心が出ては来ないでしょうか。

(次回に続きます)

釈尊の教えを正確に伝えられた親鸞聖人の教えは、親鸞会で聞かせて

頂くことができます。 釈尊、親鸞聖人は、どんなことを教えていかれたのか、

親鸞会で聴聞させていただきましょう。

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釈尊の教え(五逆罪の続き)

仏教で教えられる恐ろしい罪に五逆と言われるものがあります。

五つの恐ろしい罪のことで、最初にあげられるのが親殺しの罪です。

少年が金属バットでお母さんを殴り殺したとか、五十代の男が年老いた

母親を刺し殺したなどという事件が、時々耳に入ってきます。

赤ん坊の頃は、お乳を飲ませてもらったり、おむつを取り替えてもらったの

ではありませんか。

病気になれば寝ずに看病してもらったり、離れていれば、いつも心配して

もらって成長してきたのです。

そんな大恩ある親を自らの手で殺すなど、人間の心を持たぬ鬼の仕業で

はないかとさえ思われます。

釈尊は、このような親殺しの大罪(だいざい)は無間地獄へ堕つる恐ろ

しい無間業であると教えられております。

ところが親鸞聖人は、このように手にかけて殺すばかりが親殺しではないのだよと、

「親をそしる者をば五逆のものと申すなり」

と言われています。親をそしるのも五逆の罪なのです。

「早く死んでしまえ」などと言うのは無論ですが、「うるさい」「あっちへ行け」など

とののしるのも親を殺しているのです。

また、仏教では、

「殺るよりも、劣らぬものは、思う罪」

と言われるように、体や口よりも心を最も重くみられます。

次回につづきます。

親鸞会では、親鸞聖人の正しい教えが説かれています。

全国各地で講演会が行われていますので、ご縁のある方は参詣されて

ください。なお、親鸞会の紹介パンフレットは、公式ホームページから申込む

ことができます。

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釈尊の教え(五逆罪とは)

釈尊がこの世のあらわれて仏教を説かれた目的は、

阿弥陀如来の本願、一つを説かれるためでした。

正信偈には、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」

と親鸞聖人は書かれています。

お釈迦自身にも、罪悪深重の我々を助ける力はありません。

大宇宙の諸仏にも、菩薩も、諸神も、みな我々を助ける

力がありません。ただ、阿弥陀仏一仏しか、私たちを救う力

はないのです。

だから、釈尊も生涯、阿弥陀仏の本願一つを説かれ、

仏教の結論として、

「一向専念 無量寿仏」 と、繰り返し教えておられます。

無量寿仏とは阿弥陀仏のこと。

一向とは、一つに向け。

専念とは、もっぱら信じなさい、念じなさい、ということです。

阿弥陀如来は、すべての人は、五逆罪の悪人、謗法罪を

造っている悪人、とみてとられて、本願をたてられています。

五逆罪とは、いったいなんでしょうか。

弥陀の本願を、詳しく聞かれたい方は、親鸞会で聴聞させ

ていただきましょう。 親鸞会では、阿弥陀如来の本願一つ

をあきらかにされた、親鸞聖人の教えを聞かせて頂くことが

できます。

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釈尊と弥陀

釈尊が一生涯教えられたことは、弥陀の本願ただ一つでありました。
弥陀の本願とは、阿弥陀仏の本願のこと。

その阿弥陀仏の本願とは、
「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」
とのお約束です。

「すべての人」 この中に入らない人はありません。
大宇宙の仏方は、みな本願を持っておられますが、すべての人と
誓われた仏はありません。 阿弥陀仏だけが、「十方衆生(すべての人)」
とこの弥陀は約束するぞ、と仰言っているのです。
ゆえに、阿弥陀仏の本願によらねば、私たちは絶対に救われません。

では、十方衆生(すべての人)はいかなるものか。
私たちでも、何かの約束をするときは、相手はどんな人か調べます。
銀行にお金を借りに行くと、銀行は私はどんなものか、調べます。
そして、こいつならこれくらい貸せるかな、と判断します。

阿弥陀如来は、すべての人間を徹底的に調査され、診断された結果が、
「唯除五逆誹謗正法」 との本願文のお言葉です。

「唯除」 とは、金輪際、助かる縁手がかりの無いもの。永久に助からない者。
「五逆」とは、五逆罪を造っている悪人。
「誹謗正法」とは、謗法罪を造っている悪人。 ということです。

では、「五逆罪」とは、なんでしょうか。

親鸞聖人の教えをもっと詳しく知りたい方は、以下のサイトをご覧に
なってください。

親鸞会ポータル
親鸞会

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釈尊と阿弥陀如来の本願

釈迦が80歳で亡くなるまで説かれた仏教は、
阿弥陀如来の本願一つが教えられています。

これは、世界の光と今日仰がれる親鸞聖人が、一切経を幾たびも
読み破られて仰言っていることですから、絶対に間違いありません。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈)

如来=釈尊のこと
興出世=この世に生まれ出られた
所以=目的は
唯説=唯一つのことを説かれるためであった
※正信偈に「唯」は6回使われていますが、いずれも、唯一、
ということです。

弥陀本願海=阿弥陀如来の本願
※阿弥陀如来のことを弥陀、とよく言われます。
※阿弥陀如来の本願の広さ、深さは、この世のもので
譬えるならば、海しかないので、本願海、と親鸞聖人
は仰言っています。

阿弥陀如来の本願は、今日の言葉でいえば、
「すべての人を 必ず助ける 絶対の幸福に」 となります。
では、すべての人間は、いかなる姿をしているのでしょうか。

親鸞聖人の教えについてもっと知りたい方は、以下のホームページ
を参照してください。

親鸞会.NET

親鸞会ブログポータル

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釈尊と弥陀

釈尊が、一生涯、教え続けられたのは、自分の先生である阿弥陀如来の本願一つでありました。

この阿弥陀如来の本願によらなければ、すべての人の後生の一大事、絶対に助かることはありません。

十方諸仏が見捨てた十方衆生を、阿弥陀仏だけが、

「我を信じよ、すべての人を必ず絶対の幸福に助ける」 という本願を建てておられます。

釈尊が阿弥陀仏のことばかりとかれたのが七千余巻の一切経ですから、

一切経を読んだ人が、驚いています。

「諸経所讃 多在弥陀」 (一切経には、阿弥陀仏のことばかり褒め称えられている)

そして、仏教の結論として、釈尊は、

「一向専念 無量寿仏」 と、繰り返し仰言っています。

無量寿仏とは、阿弥陀仏の別名です。一向専念無量寿仏とは、阿弥陀仏一つに向け、

阿弥陀仏以外のすべてを捨てよ、阿弥陀仏だけを専念しなさい。ということです。

これよりほかに、我々の後生の一大事、助かる道はないのです。

蓮如上人も、「そのほかにはいずれの法を信ずというとも、後生の助かるということ

ゆめゆめあるべからず」 と仰言っています。

親鸞聖人、蓮如上人をはじめ、善知識(正しい仏教を説く先生)は、皆、この一向専念

無量寿仏を徹底されるのです。釈尊の至上命令だからです。

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釈尊の教え(弥陀の本願)

大宇宙の諸仏に捨てられた十方衆生(すべての人)を、われ一人助けてみせる、

と立ち上がられたのが、本師本仏の阿弥陀如来です。

阿弥陀如来という仏様は、大宇宙の数え切れないほどまします諸仏の王であり、

師匠の仏です。

蓮如上人の書かれた御文章には、「ここに阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり」

と書かれています。釈尊も十方諸仏のお一人ですから、阿弥陀如来と釈尊は

師匠と弟子、という関係です。

阿弥陀如来は、

「すべての人を 必ず助ける 絶対の幸福に」 と誓われています。

死んでからではなく、この世から未来永遠の幸福に助けてみせる、とのお約束です。

釈尊の45年間とかれた仏教も、すべての人をこの阿弥陀如来の救いにあわせる、

ただこのこと一つが目的だったのです。

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釈尊の教えられたこと(弥陀の本願)

釈尊が80歳で亡くなるまで説かれたことは、すべて七千余巻の一切経に書き残されています。

その一切経には、何が教えられているのか。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈) とあるように、

阿弥陀仏の本願一つ教えられたのが仏教です。

釈尊は、阿弥陀仏の本願一つ説くために、七千余巻の一切経を説かれた、ということです。

阿弥陀仏のお弟子がお釈迦様ですから、これは当然のことです。

弟子の使命は、先生の御心一つをお伝えすること以外にないからです。

阿弥陀仏のお弟子である釈尊は、阿弥陀仏の御心、阿弥陀仏の本願一つを説かれる

ことが唯一の使命であったのです。

ですから、仏教の結論として、釈尊は、

「一向専念 無量寿仏」 (大無量寿経) と説かれました。

無量寿仏とは阿弥陀仏の別名。

「阿弥陀仏一つに向け、阿弥陀仏を専念せよ。これよりほかに後生の一大事解決できる

方法はないのだよ」 と教えられています。

すべての人は、罪悪を造り続けているために、一息切れたら無間地獄へおちる、という

後生の一大事という大問題を持っている。 この世も苦しみ悩み、死んでまた地獄へおちる、

苦から苦へのつなわたりをしようとしている全人類を、なんとか助けてやりたいと、

大宇宙の諸仏方が立ち上がりました。 ところが、私たちの悪があまりにも重く、とても

助けることができないと、見捨てられました。

(つづく)

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