釈尊一代の教えとは


親鸞聖人の教えをねじまげる邪義の一つに、

「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」 というものがある。

正信偈に、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」

とあるように、釈尊は、一生涯、弥陀の本願(18願)一つとかれた、

その弥陀の18願に、善は勧められていない、だから、親鸞聖人

の教えに、善の勧めはない、と主張する。 さらには、親鸞聖人

も蓮如上人も、雑行を捨てよ、と仰る、雑行とは善のことだろう、

だから、善を捨てねばならないのだ、と。ついでに、我々に善など

できようか、悪しか造れないのが我々だ、だから善は必要ない。

などという、邪義である。

「善を勧める親鸞会は間違い」

「善を勧めるのは、遠回りの道」

「世間的な善は勧められているが、獲信のための善は勧められていない」

など、大謗法を続けている。

なぜ、大謗法であり、邪義であり、仏教でもないし、親鸞聖人の教えでも

ないのか。 それは、修善の勧めは、弥陀のお勧めであるからだ。

弥陀は19願で、修諸功徳と、修善を勧めておられる。

19願から、20願を通り、18願に転入する、この三願転入が弥陀の御心

であり、釈迦の教えであり、親鸞聖人の教えなのだ。親鸞会で説かれる

教えも、三願転入以外には、全くない。親鸞会では、本当の親鸞聖人

の教えしか、とかれていない。

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