釈尊の説法・人間の実相(猛虎)


浄土真宗親鸞会にて詳しく知ることができた釈尊の存在。

釈尊の人間の実相について書いています。
今日は「猛虎」についてです。
釈尊が「猛虎」に例えられたのは、無常(自分の死)であり、追いかけてくるのは、無常の嵐の吹きすさんでいることを表しています。私たち一人一人の背後に飢えた猛虎が迫っているのは、否定しようのない事実です。
あるガン患者は闘病記に、次のように書いています。
〈死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。
(中略)死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気でやってくる。ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である〉

釈尊は、世の無常をさとられ「諸行無常」といわれていますが、
中でも無常とかんじられるのは人間の死です。
なかでも特別なのが「自分の死」でしょう。

釈尊は真正面からご自身の「死」について見つめられ、
必ず死んでいく人間がどうすれば本当に幸せになれるかを求め、
仏のさとりを開き、その答えを出されたのです。

親鸞会ではこういった人間の非常に大事なことを色々と私達に伝えてくれているようです。

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