Archive for category 釈尊・悟り

釈尊と入山学道

29歳の2月8日、夜中ひそかに城を抜け出し、山奥深く入られて、

私たちの想像を絶する厳しい修行を6年間、釈尊はなされました。

そして、35歳12月8日、ついに仏の覚りを開かれたのでした。

ここで、覚り、とは何か、簡単に説明しましょう。

一口に覚りといいましても、ひくい覚りから高い覚りまで、52の位が

あるので、これをさとりの52位といいます。 ちょうど相撲取りでも、

下はふんどし担ぎから、上は大関、横綱までいろいろありますように

さとりといってもピンからキリまで52あるのです。

この続きは次回お話しましょう。

釈迦の教えをそのまま伝えられた方が親鸞聖人であり、その親鸞聖人

の正しい教えを伝える集まりが親鸞会です。今日の浄土真宗はもはや

形ばかりで、葬式仏教法事仏教となり、親鸞聖人の教えはどこにも

ありません。 親鸞会で、親鸞聖人の本当の教えを聞きましょう。

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釈尊の教えとは?

釈尊は、どんな方であったのか、概略を今までお話しました。

これからは、どんなことを教えられたか、について書きたいと思います。

釈尊(釈迦)は、今から約2600年前、インドで活躍されました。

35歳で仏という覚りを開かれ、80歳で亡くなるまでの45年間、覚った大宇宙の真理を説かれたのが、

今日、仏教と言われています。

「大宇宙の真理」と言いましても、数学的真理や科学的真理などではありません。

私たちが、幸福になる真理、です。

何のために生まれてきたのか、生きているのか、それは「幸せになるため」ではありませんか?

これは、時代や場所に関係なく、すべての人の願いではないでしょうか。

みんな幸せを求めて生きているのに、現実は、苦しみ、悩み、不安や心配に満ちているのが

私たちの人生です。 どうすれば幸せになれるのか。お金か、財産か、あるいは地位か名誉か、健康か。

人それぞれ一生懸命求めていますが、つかんだ、と思った幸せもすぐに色あせる、崩れてしまう。

そんな私たちが、絶対に崩れない壊れない、色あせない、人間に生まれてきたのは、この幸せ

になるためだった、と言える絶対の幸福の存在を発見し、教えられたのが釈尊でありました。

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釈尊の説法・人間の実相(猛虎)

浄土真宗親鸞会にて詳しく知ることができた釈尊の存在。

釈尊の人間の実相について書いています。
今日は「猛虎」についてです。
釈尊が「猛虎」に例えられたのは、無常(自分の死)であり、追いかけてくるのは、無常の嵐の吹きすさんでいることを表しています。私たち一人一人の背後に飢えた猛虎が迫っているのは、否定しようのない事実です。
あるガン患者は闘病記に、次のように書いています。
〈死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。
(中略)死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気でやってくる。ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である〉

釈尊は、世の無常をさとられ「諸行無常」といわれていますが、
中でも無常とかんじられるのは人間の死です。
なかでも特別なのが「自分の死」でしょう。

釈尊は真正面からご自身の「死」について見つめられ、
必ず死んでいく人間がどうすれば本当に幸せになれるかを求め、
仏のさとりを開き、その答えを出されたのです。

親鸞会ではこういった人間の非常に大事なことを色々と私達に伝えてくれているようです。

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釈尊の説法・人間の実相(秋)

親鸞聖人の教えを伝えてくれる親鸞会でこの有名なたとえ話を聞いたのですが、たとえの意味を続けたいと思います。

旅人は、果てしのない広野を一人で歩いていた。しかも木枯らしの吹く秋の夕暮れであったとは、釈尊は人生の寂しさを例えられています。
なぜ、人生は寂しいのでしょうか。
その理由を釈尊は、
「独生独死 独去独来」
(独り生まれ、独り死し、 独り去り、独り来る)
と説かれています。この世に独りで生まれてきたのだから死んでいく時も独り。最初から最後まで、独りぼっちの旅なのです。
「肉体の連れはあっても、魂の連れはない」ということです。どれだけ多くの人に囲まれていても寂しいのは、自分の心を分かってくれる人がいないからです。
親子、夫婦、親友でも、心の中を洗いざらい言えるでしょうか。
よくよく心の奥底を見つめると、とても言葉に出せないものを、お互いに持っています。もし口にしたら、「そんなことを思っていたのか」と、相手に驚かれ、嫌われてしまうでしょう。
「あの人には何でも言える」というのは、言える程度までならば何でも言える、ということです。自分の悩みや苦しみを、すべてだれかに話すことができ、完全に分かってもらえたら、どれほど救われるでしょう。しかし現実には不可能です。
「永遠の愛」を誓った夫婦でさえ、どれだけ行き違いが多いことか。話し合えば話し合うほど、お互いの感覚や価値観の違いが浮き彫りになるのは、どうしようもありません。あからさまに言いたいことを言うとケンカになるので、家庭生活を維持するには、違いを認めて歩み寄らねばなりません。それにはかなりのエネルギーを要するから、相手に配慮する気力がなくなった時が破局です。
どんなに仲良く、一緒に暮らしている相手であっても、一人一人の本心は、別の人には、のぞき見ることもできません。自分にさえ知りえぬ、秘密の蔵のような心があると、仏教では説かれています。
寂しくて何かをせずにおれないけれど、何をしても紛らわすことができない。
まさに底知れぬほど寂しいところが人生なのです。

釈尊は、まず人生の寂しさを教えられ、そこから真の意味で解放された世界を明らかにされたのです。

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釈尊とは

釈尊の説かれたお話に「人間の実相」といわれるものがあります。
ロシアの文豪トルストイが「これ以上、人間の赤裸々な姿をたとえられた話はない」
と絶賛した話です。

釈尊はまず次のようなたとえ話をされました。

それは今から幾億年という昔のことである。ぼうぼうと草の生い茂った果てしない広野を、独りトボトボと歩いていく旅人があった。季節は、木枯らしの吹く寂しい秋の夕暮れである。

ふと旅人は、急ぐ薄暗い野道に、点々と散らばる白い物を発見して立ち止まった。一体何だろうと、拾い上げて驚いた。
何とそれは、人間の白骨ではないか。どうしてこんな所に、しかも多くの白骨があるのか。不気味な不審を抱いて考え込んだ。間もなく前方の闇から、異様なうなり声と足音が聞こえてきた。闇を透かして見ると、かなたから、飢えに狂った獰猛な虎が、こちら目掛けてまっしぐらに突進してくるではないか。

旅人は、瞬時に白骨の意味を知った。自分と同じく、ここを通った旅人たちが、あの虎に食われたに違いない。同時に自分もまた、同じ立場にいると直感した。驚き恐れ、無我夢中で、今来た道を全速力で虎から逃げた。
しかし、所詮は虎に人間はかなわない。やがて猛虎の吐く、恐ろしい鼻息を身近に感じ、もうだめだと思った時である。どう道を迷ったのか、断崖絶壁で行き詰まった。

絶望に暮れた彼は、幸いにも断崖に生えていた木の元から一本の藤蔓が垂れ下がっているのを発見。その蔓を伝ってズルズルーと下りたことはいうまでもない。
せっかくの獲物を逃した猛虎は断崖に立ち、無念そうに、ほえ続けている。
旅人は九死に一生を得た。「やれやれ、この藤蔓のおかげで助かった。まずは一安心」と足下を見た時、思わず口の中で「あっ」と叫んだ。

底の知れない深海の怒涛が絶えず絶壁を洗っているではないか。それだけではない。波間から三匹の竜が、真っ赤な口を開け、自分の落ちるのを待ち受けているのを見たからである。あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握り締め身震いした。

しかし旅人は、しばらくすると空腹を感じ、周囲に食を探して眺め回した。
その時である。
旅人は、今までのどんな時よりも、最も恐ろしい光景を見たのだ。
藤蔓の元に、白と黒のネズミが現れ、藤蔓を交互にかじりながら回っているではないか。やがて確実に白か黒のネズミに、かみ切られることは必至である。絶体絶命の旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えて止まらない。

だが、それも長くは続かなかった。この藤蔓の元に巣を作っていたミツバチが、甘い蜜の滴りを彼の口に落としたからである。旅人は、たちまち現実の恐怖を忘れて、陶然と蜂蜜に心を奪われてしまったのである。

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釈尊はそういったことを教えられているのです。

35歳の12月8日に大宇宙最高の仏というさとりを開かれた釈尊は自分の悟りを伝える為に、鹿野苑へ向かって、初めて五比丘に仏の教えを説かれました。
これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ぶのだそう。

五比丘とはもともと太子の身の回りの世話をしていた者たちであり、父・浄飯王によって遣わされた臣下でした。故郷のカピラ城を捨て、真理を求めて修行を始められた太子(釈尊)を、父王は捨ておけなかったのです。
太子(釈尊)は五比丘らの来訪を、拒絶されました。
身の回りの世話などされては修行にならない、というのが理由だったようです。
そこで彼らは、「ともに修行いたしますので、どうかおそばにいさせてください」と申し出、ようやく起居をともにすることを許されたのです。

釈尊がその五比丘に説法されたのが地球上における、初めての説法である。
転法輪とは、人々の荒れ果てた心の大地を、平らかに耕す法輪を転ずることであり、
説法のことです。
その最初の説法を初転法輪というのです。
釈尊、四十五年間のご布教が、ここに始まったのです。

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釈尊の出家

釈尊が何不自由のない生活を捨ててまでも出家しようと考える理由は何ででしょう。普通の人なら幸せな生活を捨てるなんてまず考えませんよね。
前回書きましたように、太子(釈尊)老病死という確実な未来に儚い目先の幸福でなく、
老病死を越えた本当の幸福を求められたのです。

父王・浄飯王は、太子(釈尊)が怏々として楽しまない様子を見て、時節に適した四季の御殿を建てて、五百人の美女をかしずかせ、昼夜歌舞を奏して太子を慰めようとしました。
「私の考え過ぎなのか?この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない……」
と戯れの数年が過ぎました。
しかしある真夜中。ふと目を覚まされた太子(釈尊)は、周りを見渡して驚愕しました。五百人の女たちが、昼間の美しい容姿は見る影もなく形を乱し、眠りこけていたのである。
「ああ、だまされていた。この女たちの醜い姿こそ、本当の人間の姿なのだ」
もはや居ても立ってもいられない。今こそ出家の好機なりと決断なされたのです。

最愛の妻・ヤショダラの静かな寝息を聞き、幼い息子の寝顔に語りかけるように、
「今抱き締めれば目を覚まし、出家を止めるに違いない。私の心はまた揺れる。すまぬ、ヤショダラ、わが息子よ。このまま出ていくことを許しておくれ。必ず、必ずおまえたちが本当の幸せになる道を伝えに、戻ってこよう」。

部屋を後にされるや、シャノクという使者を召し出し、白馬ケンジョクに乗って、夜半に城を抜け出られた。太子二十九歳、二月八日のことでした。

「通さぬは
通すがための 道普請」
道路工事があると、通行止めや片側通行で不便になる。でもそれは、決して困らせようとしているのではなく、道路を整備して多くの人をより安全・快適に通すための一時の不自由なのです。
城を出れば、一時は家族を悲しませることになるでしょう。だが自分一人だけではなく、愛する家族や国の民、さらには何千年後の人をも永遠の幸せに導くためなのだと、太子は出家を断行なされたのです。
かくて勤苦六年、三十五歳十二月八日、釈尊はついに最高無上の仏のさとりを開かれ、たのです。
以後、釈尊は八十歳でお亡くなりになるまでの四十五年間、万人が真実の幸福に救われるただ一本の道を説き続けていかれたのです。その教えこそが、仏教です。
その仏教の真髄を、後世の私たちに正しく伝えてくだされた方が、八百年前、この日本にお生まれになった親鸞聖人でありました。

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