Archive for category 釈尊とは

釈尊の教え(五逆罪の続きです)

五逆罪について、話をしていました。
私たちは、自分が五逆の罪人であるとは、夢にも思っていません。
しかし、今まで説明したように、たとえ手にかけて殺してはいなくても、
口で謗っていなくても、心でどれだけ親を殺してきたかしれません。

誰しも今まで一度や二度は、「こんな苦しいのなら死んだほうがましだ」
と思ったことの無い人はいないでしょう。

「死んだほうがましだ」と思うのは、産みさえしなかったらこんなに苦しまな
くてよかったのにと、親を恨み、呪っている心です。

間違いなくそれは、心で親を殺しているのです。

阿弥陀如来は、すべての人は五逆罪を造っている悪人、とみぬいて、
それを必ず絶対の幸福に助ける、という本願を建てておられるのです。

その阿弥陀如来の本願一つを、釈尊は教えてゆかれました。
親鸞会で教えられていることも、釈尊の教え、弥陀の本願、ただ一つです。
親鸞会で、本当の親鸞聖人の教えを聞きましょう。

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釈尊と弥陀

釈尊が、一生涯、教え続けられたのは、自分の先生である阿弥陀如来の本願一つでありました。

この阿弥陀如来の本願によらなければ、すべての人の後生の一大事、絶対に助かることはありません。

十方諸仏が見捨てた十方衆生を、阿弥陀仏だけが、

「我を信じよ、すべての人を必ず絶対の幸福に助ける」 という本願を建てておられます。

釈尊が阿弥陀仏のことばかりとかれたのが七千余巻の一切経ですから、

一切経を読んだ人が、驚いています。

「諸経所讃 多在弥陀」 (一切経には、阿弥陀仏のことばかり褒め称えられている)

そして、仏教の結論として、釈尊は、

「一向専念 無量寿仏」 と、繰り返し仰言っています。

無量寿仏とは、阿弥陀仏の別名です。一向専念無量寿仏とは、阿弥陀仏一つに向け、

阿弥陀仏以外のすべてを捨てよ、阿弥陀仏だけを専念しなさい。ということです。

これよりほかに、我々の後生の一大事、助かる道はないのです。

蓮如上人も、「そのほかにはいずれの法を信ずというとも、後生の助かるということ

ゆめゆめあるべからず」 と仰言っています。

親鸞聖人、蓮如上人をはじめ、善知識(正しい仏教を説く先生)は、皆、この一向専念

無量寿仏を徹底されるのです。釈尊の至上命令だからです。

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釈尊の教え=弥陀の本願

釈尊が35歳で仏の覚りをひらかれ、80歳でなくなるまで、45年間説かれた教えを、仏教といいます。

そのみ教えは、七千余巻の一切経にすべて書き残されています。

仏教を知るには、この一切経を全部読んで理解しなければなりませんが、漢字ばかりで書かれていますし、

七千冊以上もあるのですから、誰でも読めるものではありませんし、理解できるものでもありません。

この一切経を何回も読み破られた方が、今日、世界の光と言われている親鸞聖人です。

そして、次のように断言されています。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈)

(釈迦如来が、この世に生まれられた目的は、弥陀の本願一つを説かれるためであった)

七千余巻もあり、45年間も教えられた、と聞きますと、仏教にはいろいろなことが教えられているのだろう、

と思われるかもしれませんが、そうではなかったのです。「唯説」(ただ一つのことを説かれるためだった)

と、親鸞聖人は断言されています。それは、「弥陀の本願」と、仰言っています。

「弥陀の本願」とは、阿弥陀仏の本願のことです。

では、阿弥陀仏とはどんな仏様でしょうか。仏教をとかれた釈尊は、この地球上にあらわれた仏様ですが、

阿弥陀仏はそうではありません。阿弥陀仏と釈尊との関係について、蓮如上人は次のように仰言っています。

「ここに阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」(御文章)

三世十方の諸仏とは、大宇宙にまします、数え切れないほどの仏方のことです。本師本仏とは先生、という

ことです。ですから、阿弥陀如来は、大宇宙の仏方の先生、ということです。地球にあらわれたお釈迦様も

十方諸仏のお一人ですから、阿弥陀如来と釈尊との関係は、先生と生徒、師匠と弟子となります。

地球上でもっとも偉大なお釈迦様も、阿弥陀如来のお弟子である、ということです。

弟子の使命は、先生の願い、先生の御心を、一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、

弟子である釈尊は、一生涯、自分の先生である阿弥陀如来の本願一つをとかれたのだ、と断言

された親鸞聖人のお言葉に、深くうなづかずにおれません。

では、本願とは、なんでしょうか。

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釈尊の教えとは?

釈尊は、どんな方であったのか、概略を今までお話しました。

これからは、どんなことを教えられたか、について書きたいと思います。

釈尊(釈迦)は、今から約2600年前、インドで活躍されました。

35歳で仏という覚りを開かれ、80歳で亡くなるまでの45年間、覚った大宇宙の真理を説かれたのが、

今日、仏教と言われています。

「大宇宙の真理」と言いましても、数学的真理や科学的真理などではありません。

私たちが、幸福になる真理、です。

何のために生まれてきたのか、生きているのか、それは「幸せになるため」ではありませんか?

これは、時代や場所に関係なく、すべての人の願いではないでしょうか。

みんな幸せを求めて生きているのに、現実は、苦しみ、悩み、不安や心配に満ちているのが

私たちの人生です。 どうすれば幸せになれるのか。お金か、財産か、あるいは地位か名誉か、健康か。

人それぞれ一生懸命求めていますが、つかんだ、と思った幸せもすぐに色あせる、崩れてしまう。

そんな私たちが、絶対に崩れない壊れない、色あせない、人間に生まれてきたのは、この幸せ

になるためだった、と言える絶対の幸福の存在を発見し、教えられたのが釈尊でありました。

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釈尊の説法・人間の実相(藤蔓・ネズミ)

釈尊の人間の実相について書いています。
今日は「藤蔓」と「ネズミ」についてです。

旅人は、藤蔓に捕まって断崖にぶら下がっています。
釈尊は人間の寿命を「藤蔓」で譬えられました。
しっかりしたワイヤーロープではなく、細い藤蔓。
そして釈尊が「白と黒のネズミ」に例えられたのは「昼と夜」のことです。
二匹のネズミが交互に藤蔓をかじりながら回るように、私たちの命を、昼と夜とが、こもごも循環しながら削っている。正月もお盆も、一刻の休みもなくかじり続ける。やがて、白のネズミか、黒のネズミにかみ切られる時が必ず来るのです。

一日生きたといういことは、一日死に近づいたことであり、
一年生きたということは、それだけ大きく死に近づいたということです。

釈尊は、寿命がこくこくと短くなっている様を藤蔓とネズミでたとえられているのですね。
この話は親鸞会で聞かせてもらいました。

親鸞会設立の目的は、もちろんあの有名な親鸞聖人の教えを正しく伝えること、ただ一つですが、その親鸞聖人は、釈尊の教え以外には何もないのです。親鸞聖人は、常に「さらに親鸞、珍しき法をひろめず、釈迦の教法を、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と仰言っています。
親鸞会は高森顕徹と言う人が会長ですが、浄土真宗親鸞会も釈尊の教え、親鸞聖人の教えをそのまま伝えることをポリシーとしているようです。

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釈尊とは

釈尊の説かれたお話に「人間の実相」といわれるものがあります。
ロシアの文豪トルストイが「これ以上、人間の赤裸々な姿をたとえられた話はない」
と絶賛した話です。

釈尊はまず次のようなたとえ話をされました。

それは今から幾億年という昔のことである。ぼうぼうと草の生い茂った果てしない広野を、独りトボトボと歩いていく旅人があった。季節は、木枯らしの吹く寂しい秋の夕暮れである。

ふと旅人は、急ぐ薄暗い野道に、点々と散らばる白い物を発見して立ち止まった。一体何だろうと、拾い上げて驚いた。
何とそれは、人間の白骨ではないか。どうしてこんな所に、しかも多くの白骨があるのか。不気味な不審を抱いて考え込んだ。間もなく前方の闇から、異様なうなり声と足音が聞こえてきた。闇を透かして見ると、かなたから、飢えに狂った獰猛な虎が、こちら目掛けてまっしぐらに突進してくるではないか。

旅人は、瞬時に白骨の意味を知った。自分と同じく、ここを通った旅人たちが、あの虎に食われたに違いない。同時に自分もまた、同じ立場にいると直感した。驚き恐れ、無我夢中で、今来た道を全速力で虎から逃げた。
しかし、所詮は虎に人間はかなわない。やがて猛虎の吐く、恐ろしい鼻息を身近に感じ、もうだめだと思った時である。どう道を迷ったのか、断崖絶壁で行き詰まった。

絶望に暮れた彼は、幸いにも断崖に生えていた木の元から一本の藤蔓が垂れ下がっているのを発見。その蔓を伝ってズルズルーと下りたことはいうまでもない。
せっかくの獲物を逃した猛虎は断崖に立ち、無念そうに、ほえ続けている。
旅人は九死に一生を得た。「やれやれ、この藤蔓のおかげで助かった。まずは一安心」と足下を見た時、思わず口の中で「あっ」と叫んだ。

底の知れない深海の怒涛が絶えず絶壁を洗っているではないか。それだけではない。波間から三匹の竜が、真っ赤な口を開け、自分の落ちるのを待ち受けているのを見たからである。あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握り締め身震いした。

しかし旅人は、しばらくすると空腹を感じ、周囲に食を探して眺め回した。
その時である。
旅人は、今までのどんな時よりも、最も恐ろしい光景を見たのだ。
藤蔓の元に、白と黒のネズミが現れ、藤蔓を交互にかじりながら回っているではないか。やがて確実に白か黒のネズミに、かみ切られることは必至である。絶体絶命の旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えて止まらない。

だが、それも長くは続かなかった。この藤蔓の元に巣を作っていたミツバチが、甘い蜜の滴りを彼の口に落としたからである。旅人は、たちまち現実の恐怖を忘れて、陶然と蜂蜜に心を奪われてしまったのである。

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釈尊ってどんな人?

みなさんは『釈尊』と言う人をご存知ですか?仏教関係だと言うことくらいは何となく想像がつくと思いますが、釈尊という人はどんな人だったのか、何をして有名になったのかなんて知らない人も多いと思います。釈尊よりも【お釈迦様】の方が耳になじみがあると思いますが、釈尊とは、言ってしまえばお釈迦様のことですね。そんな釈尊に関すること、まずは生い立ちについて少しずつ紹介していこうと思います。

北インドのヒマラヤの銀嶺をのぞむ高原(現在のネパール国境付近(インドという説もありますが))に、【釈迦族】と呼ばれる種族が、【カピラ城(カピラバッツもしくはカピラヴァストゥ)】を中心に小さな国をつくっていて、そこの城主は浄飯王(スッドーダナ)といい、その浄飯王と妃であるマーヤー夫人との間に産まれたのがゴータマ・シッダッルタ(ガウタマ・シッダールタとも)という王子。
その人こそが後の釈尊となるのです。

そのゴータマ・シッダッルタ(釈尊)は、母であるマーヤー夫人が出産のために里帰りの途上で産まれられました。ルンビニーの花園の美しさに目を奪われたマーヤー夫人とその一行は、しばらくこの庭園で休息することにし、その時の紀元前5世紀の半ばでの4月8日にマーヤーがやおら立って、無憂華の一枝を手にしようとしたとき、すばらしい王子(後の釈尊)が誕生したとのことです。

経典の伝えるところによると、シッダッタは生れてすぐに7歩歩き、天と地を指さし、『天上天下唯我独尊』と高らかに叫ばれたといわれます。
7歩の意味や天上天下唯我独尊の意味はまたの機会に書きたいと思います。

これは一つの伝説として伝えられている話であり、ここから釈尊の生誕の日は【花まつり】といわれるようになったのです。

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