Archive for category 釈尊・生い立ち

釈尊の説法・人間の実相(白骨)

釈尊の説かれた人間の実相について書いています。

今日は「白骨」についてです。

旅人は、道に散らばっている白骨を見て驚きました。
釈尊は「他人の死」を「白骨」で譬えられました。
「白骨を発見して驚いた」とは、私たちが、他人の死を見たり聞いたりした時の衝撃を例えられたものです。
道で霊柩車を見ると引き返す人、死と聞くとゾーッとする人、葬式を見ると頭痛がするという人もあります。死を恐れるのは、動物の本能です。
交通事故や自然災害、テロや殺人など、テレビや新聞で、人の死のニュースが流れぬ日はありません。
私たちも旅人と同じように、白骨の広野にポツネンと立っているようなものではないでしょうか。

釈尊は、嘘偽りのない世の実相をそのまま教えられたのです。

親鸞会を通してこの釈尊のお話を知ったわけですが、生と死についてここまで深く考えた人がいたからこそ、今の私達の生活があるのでしょうね。それをキチンと私達に伝えている親鸞会の活動、親鸞会の方に感謝です。

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釈尊はこういったこともキチンとわかっておられたんですよね

ときには釈尊のことをブッダとか世尊とか釈迦とか言われたりしますね。
釈尊は時に敵と狙う人もあらわれたりするのですが、その憎しみも釈尊の円満な人柄を前にするとなぜか自然にやわらぐことができ、いつしか帰依者に変わっていくのが常に起こることでした。

その釈尊の「人間の実相」について書いていました。
釈尊は、そのたとえ話をされたところまで書きました。
今日から、その譬えは何を表しているのか、簡単に書いてみたいと思います。

人間とはいかなるものか。釈尊が『仏説譬喩経』で明らかにされた「人間の実相」は、
人はなぜ仏教を聞かねばならないかを浮き彫りにしています。
これが分からねば、仏法は始まりません。それほど大切なご教示なのです。

旅人

まず釈尊が「旅人」とたとえられたのは私たち人間のことです。旅に出ると一カ所にとどまらないように、私たちは昨日から今日、今日から明日へと、時間の旅をしています。旅行中、晴天に恵まれる日もあれば、雨や風、雪に見舞われることもある。上り坂もあれば下り坂もあるでしょう。
人生も同じで、調子のいいことばかりでなく、悲しいことやつらいこと、どん底に落ちる日もあります。
確かに、人生は「旅」に似ています。しかし旅人ならば、行く先、目的地がハッキリしていますが、私たちは、「人生の目的」を知っているでしょうか。
目的なしに生きるのは、死ぬために生きるようなものです。死を待つだけの人生は苦しむだけの一生に終わります。
「人間に生まれてよかった」と心から喜べる「人生の目的」を知ることの大切さを教えるために、釈尊は、私たちを「旅人」に例えられたのです。

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釈尊が出家するまで

ゴータマ・シッダるルタ(釈尊)が生後一週間で母であるマーヤー夫人が亡くなり、その後は母の妹である、マカマヤ夫人(マハープラジャパティー)によって釈尊は育てられたそうです。

多感でしかも聡明な立派な青年として育った釈尊は19歳という若さで国一番の美女といわれたヤショーダラ姫と結婚し、一子であるラーフラ をもうけたのでした。

しかし釈尊は、外見はなやかな生活の中でも、かえって物思いに沈みがちな日々を送られたそうです。

幼少のころの逸話がいくつか伝えられています。
ある日、田畑の虫をついばむ鳥が、また別の鳥に狙われているのを見て、弱肉強食の世界を知られました。それは動物だけのことではなく、人間の世界もまた同じと感じられたのです。

また四門出遊といわれる話も残されています。
ある時にシッダールタ太子(釈尊)がカピラ城の東門から出る時には老人に、南門より出る時には病人に、西門を出る時には死者に会いました。
今、若く、健康で、生きているといっても、必ず老と病と死によって失われるものばかりという世のう無常を知られ、本当の幸福とは何かを考えずにはいられなかったようです。
そして北門から出た時に1人の出家沙門に出会い、世俗の汚れや苦を離れた沙門の清らかな姿を見て、釈尊は出家の意志を持つようになったと言われています。

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釈尊ってどんな人?

みなさんは『釈尊』と言う人をご存知ですか?仏教関係だと言うことくらいは何となく想像がつくと思いますが、釈尊という人はどんな人だったのか、何をして有名になったのかなんて知らない人も多いと思います。釈尊よりも【お釈迦様】の方が耳になじみがあると思いますが、釈尊とは、言ってしまえばお釈迦様のことですね。そんな釈尊に関すること、まずは生い立ちについて少しずつ紹介していこうと思います。

北インドのヒマラヤの銀嶺をのぞむ高原(現在のネパール国境付近(インドという説もありますが))に、【釈迦族】と呼ばれる種族が、【カピラ城(カピラバッツもしくはカピラヴァストゥ)】を中心に小さな国をつくっていて、そこの城主は浄飯王(スッドーダナ)といい、その浄飯王と妃であるマーヤー夫人との間に産まれたのがゴータマ・シッダッルタ(ガウタマ・シッダールタとも)という王子。
その人こそが後の釈尊となるのです。

そのゴータマ・シッダッルタ(釈尊)は、母であるマーヤー夫人が出産のために里帰りの途上で産まれられました。ルンビニーの花園の美しさに目を奪われたマーヤー夫人とその一行は、しばらくこの庭園で休息することにし、その時の紀元前5世紀の半ばでの4月8日にマーヤーがやおら立って、無憂華の一枝を手にしようとしたとき、すばらしい王子(後の釈尊)が誕生したとのことです。

経典の伝えるところによると、シッダッタは生れてすぐに7歩歩き、天と地を指さし、『天上天下唯我独尊』と高らかに叫ばれたといわれます。
7歩の意味や天上天下唯我独尊の意味はまたの機会に書きたいと思います。

これは一つの伝説として伝えられている話であり、ここから釈尊の生誕の日は【花まつり】といわれるようになったのです。

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