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釈尊の教え(心で造る罪の恐ろしさ)

前回、五逆罪について話をしていました。

体で親を殺す、口でいい加減に死んでしまえ、と親をそしる、これはもちろん

五逆罪ですが、体や口よりも、心で思う罪がもっとも恐ろしいと教えられて

います。

「殺る(やる)よりも、劣らぬものは、思う罪」

「殺る」とは、体で殺すことですが、心で殺す罪はもっとおそろしいといわれます。

「心で殺す」とは、どんなことでしょうか。

一つ屋根の下に暮らしておりながら、ろくに口もきかず、食事も別々にとり、

呼ばれても聞こえないふりして親を邪魔者扱いしているのは、心で親を殺しているのです。

親が病気にでもなり、寝たきりになったらどうでしょう。

世話を嫌って、「邪魔だなあ」「いい加減に死んでくれたら」 という心がふきあがって

きます。とても他人には言えない心が出ては来ないでしょうか。

(次回に続きます)

釈尊の教えを正確に伝えられた親鸞聖人の教えは、親鸞会で聞かせて

頂くことができます。 釈尊、親鸞聖人は、どんなことを教えていかれたのか、

親鸞会で聴聞させていただきましょう。

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釈尊の教え(五逆罪の続き)

仏教で教えられる恐ろしい罪に五逆と言われるものがあります。

五つの恐ろしい罪のことで、最初にあげられるのが親殺しの罪です。

少年が金属バットでお母さんを殴り殺したとか、五十代の男が年老いた

母親を刺し殺したなどという事件が、時々耳に入ってきます。

赤ん坊の頃は、お乳を飲ませてもらったり、おむつを取り替えてもらったの

ではありませんか。

病気になれば寝ずに看病してもらったり、離れていれば、いつも心配して

もらって成長してきたのです。

そんな大恩ある親を自らの手で殺すなど、人間の心を持たぬ鬼の仕業で

はないかとさえ思われます。

釈尊は、このような親殺しの大罪(だいざい)は無間地獄へ堕つる恐ろ

しい無間業であると教えられております。

ところが親鸞聖人は、このように手にかけて殺すばかりが親殺しではないのだよと、

「親をそしる者をば五逆のものと申すなり」

と言われています。親をそしるのも五逆の罪なのです。

「早く死んでしまえ」などと言うのは無論ですが、「うるさい」「あっちへ行け」など

とののしるのも親を殺しているのです。

また、仏教では、

「殺るよりも、劣らぬものは、思う罪」

と言われるように、体や口よりも心を最も重くみられます。

次回につづきます。

親鸞会では、親鸞聖人の正しい教えが説かれています。

全国各地で講演会が行われていますので、ご縁のある方は参詣されて

ください。なお、親鸞会の紹介パンフレットは、公式ホームページから申込む

ことができます。

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釈尊の教え(五逆罪とは)

釈尊がこの世のあらわれて仏教を説かれた目的は、

阿弥陀如来の本願、一つを説かれるためでした。

正信偈には、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」

と親鸞聖人は書かれています。

お釈迦自身にも、罪悪深重の我々を助ける力はありません。

大宇宙の諸仏にも、菩薩も、諸神も、みな我々を助ける

力がありません。ただ、阿弥陀仏一仏しか、私たちを救う力

はないのです。

だから、釈尊も生涯、阿弥陀仏の本願一つを説かれ、

仏教の結論として、

「一向専念 無量寿仏」 と、繰り返し教えておられます。

無量寿仏とは阿弥陀仏のこと。

一向とは、一つに向け。

専念とは、もっぱら信じなさい、念じなさい、ということです。

阿弥陀如来は、すべての人は、五逆罪の悪人、謗法罪を

造っている悪人、とみてとられて、本願をたてられています。

五逆罪とは、いったいなんでしょうか。

弥陀の本願を、詳しく聞かれたい方は、親鸞会で聴聞させ

ていただきましょう。 親鸞会では、阿弥陀如来の本願一つ

をあきらかにされた、親鸞聖人の教えを聞かせて頂くことが

できます。

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釈尊と弥陀

釈尊が一生涯教えられたことは、弥陀の本願ただ一つでありました。
弥陀の本願とは、阿弥陀仏の本願のこと。

その阿弥陀仏の本願とは、
「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」
とのお約束です。

「すべての人」 この中に入らない人はありません。
大宇宙の仏方は、みな本願を持っておられますが、すべての人と
誓われた仏はありません。 阿弥陀仏だけが、「十方衆生(すべての人)」
とこの弥陀は約束するぞ、と仰言っているのです。
ゆえに、阿弥陀仏の本願によらねば、私たちは絶対に救われません。

では、十方衆生(すべての人)はいかなるものか。
私たちでも、何かの約束をするときは、相手はどんな人か調べます。
銀行にお金を借りに行くと、銀行は私はどんなものか、調べます。
そして、こいつならこれくらい貸せるかな、と判断します。

阿弥陀如来は、すべての人間を徹底的に調査され、診断された結果が、
「唯除五逆誹謗正法」 との本願文のお言葉です。

「唯除」 とは、金輪際、助かる縁手がかりの無いもの。永久に助からない者。
「五逆」とは、五逆罪を造っている悪人。
「誹謗正法」とは、謗法罪を造っている悪人。 ということです。

では、「五逆罪」とは、なんでしょうか。

親鸞聖人の教えをもっと詳しく知りたい方は、以下のサイトをご覧に
なってください。

親鸞会ポータル
親鸞会

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釈尊と阿弥陀如来の本願

釈迦が80歳で亡くなるまで説かれた仏教は、
阿弥陀如来の本願一つが教えられています。

これは、世界の光と今日仰がれる親鸞聖人が、一切経を幾たびも
読み破られて仰言っていることですから、絶対に間違いありません。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈)

如来=釈尊のこと
興出世=この世に生まれ出られた
所以=目的は
唯説=唯一つのことを説かれるためであった
※正信偈に「唯」は6回使われていますが、いずれも、唯一、
ということです。

弥陀本願海=阿弥陀如来の本願
※阿弥陀如来のことを弥陀、とよく言われます。
※阿弥陀如来の本願の広さ、深さは、この世のもので
譬えるならば、海しかないので、本願海、と親鸞聖人
は仰言っています。

阿弥陀如来の本願は、今日の言葉でいえば、
「すべての人を 必ず助ける 絶対の幸福に」 となります。
では、すべての人間は、いかなる姿をしているのでしょうか。

親鸞聖人の教えについてもっと知りたい方は、以下のホームページ
を参照してください。

親鸞会.NET

親鸞会ブログポータル

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釈尊の教え(弥陀の本願)

大宇宙の諸仏に捨てられた十方衆生(すべての人)を、われ一人助けてみせる、

と立ち上がられたのが、本師本仏の阿弥陀如来です。

阿弥陀如来という仏様は、大宇宙の数え切れないほどまします諸仏の王であり、

師匠の仏です。

蓮如上人の書かれた御文章には、「ここに阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり」

と書かれています。釈尊も十方諸仏のお一人ですから、阿弥陀如来と釈尊は

師匠と弟子、という関係です。

阿弥陀如来は、

「すべての人を 必ず助ける 絶対の幸福に」 と誓われています。

死んでからではなく、この世から未来永遠の幸福に助けてみせる、とのお約束です。

釈尊の45年間とかれた仏教も、すべての人をこの阿弥陀如来の救いにあわせる、

ただこのこと一つが目的だったのです。

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釈尊の教えられたこと(弥陀の本願)

釈尊が80歳で亡くなるまで説かれたことは、すべて七千余巻の一切経に書き残されています。

その一切経には、何が教えられているのか。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈) とあるように、

阿弥陀仏の本願一つ教えられたのが仏教です。

釈尊は、阿弥陀仏の本願一つ説くために、七千余巻の一切経を説かれた、ということです。

阿弥陀仏のお弟子がお釈迦様ですから、これは当然のことです。

弟子の使命は、先生の御心一つをお伝えすること以外にないからです。

阿弥陀仏のお弟子である釈尊は、阿弥陀仏の御心、阿弥陀仏の本願一つを説かれる

ことが唯一の使命であったのです。

ですから、仏教の結論として、釈尊は、

「一向専念 無量寿仏」 (大無量寿経) と説かれました。

無量寿仏とは阿弥陀仏の別名。

「阿弥陀仏一つに向け、阿弥陀仏を専念せよ。これよりほかに後生の一大事解決できる

方法はないのだよ」 と教えられています。

すべての人は、罪悪を造り続けているために、一息切れたら無間地獄へおちる、という

後生の一大事という大問題を持っている。 この世も苦しみ悩み、死んでまた地獄へおちる、

苦から苦へのつなわたりをしようとしている全人類を、なんとか助けてやりたいと、

大宇宙の諸仏方が立ち上がりました。 ところが、私たちの悪があまりにも重く、とても

助けることができないと、見捨てられました。

(つづく)

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釈尊の教え=弥陀の本願

釈尊が35歳で仏の覚りをひらかれ、80歳でなくなるまで、45年間説かれた教えを、仏教といいます。

そのみ教えは、七千余巻の一切経にすべて書き残されています。

仏教を知るには、この一切経を全部読んで理解しなければなりませんが、漢字ばかりで書かれていますし、

七千冊以上もあるのですから、誰でも読めるものではありませんし、理解できるものでもありません。

この一切経を何回も読み破られた方が、今日、世界の光と言われている親鸞聖人です。

そして、次のように断言されています。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 (正信偈)

(釈迦如来が、この世に生まれられた目的は、弥陀の本願一つを説かれるためであった)

七千余巻もあり、45年間も教えられた、と聞きますと、仏教にはいろいろなことが教えられているのだろう、

と思われるかもしれませんが、そうではなかったのです。「唯説」(ただ一つのことを説かれるためだった)

と、親鸞聖人は断言されています。それは、「弥陀の本願」と、仰言っています。

「弥陀の本願」とは、阿弥陀仏の本願のことです。

では、阿弥陀仏とはどんな仏様でしょうか。仏教をとかれた釈尊は、この地球上にあらわれた仏様ですが、

阿弥陀仏はそうではありません。阿弥陀仏と釈尊との関係について、蓮如上人は次のように仰言っています。

「ここに阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」(御文章)

三世十方の諸仏とは、大宇宙にまします、数え切れないほどの仏方のことです。本師本仏とは先生、という

ことです。ですから、阿弥陀如来は、大宇宙の仏方の先生、ということです。地球にあらわれたお釈迦様も

十方諸仏のお一人ですから、阿弥陀如来と釈尊との関係は、先生と生徒、師匠と弟子となります。

地球上でもっとも偉大なお釈迦様も、阿弥陀如来のお弟子である、ということです。

弟子の使命は、先生の願い、先生の御心を、一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、

弟子である釈尊は、一生涯、自分の先生である阿弥陀如来の本願一つをとかれたのだ、と断言

された親鸞聖人のお言葉に、深くうなづかずにおれません。

では、本願とは、なんでしょうか。

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